戦後、最大の被害者は日本人であった!
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昭和20年8月30日、マッカーサーが厚木海軍飛行場に到着した日を「マッカーサー進駐記念日」と呼んでいた。
しかし日本人にとっては記念日ではなく、この日から今に続く「戦後体制」になる屈辱の日である。
戦後は日本人にとっては屈辱の連続であり、本当の意味での被害者であった。
昭和20年8月13日、満州の新京を出発した日本人の避難列車が吉林盆地の小山克トンネルに来ると、武装した暴民が線路を焼き払っていたため列車を止めた。
すると暴民らは客車に乱入して日本女性を車外に連れ出して輪姦しはじめた。
暴民は抵抗する者は射殺し、女性が抱いている乳児は窓から放り投げて殺害、これを見ていた100人以上の日本人女性が崖から谷底に飛び降りて自殺した小山克事件。
昭和20年8月14日、満洲の興安街の日本人3000人のうち1200人が避難途中の葛根廟でソ連軍に虐殺された。そのほとんどが女性や子供である。
同じく8月27日、満洲の吉林省敦化で日満パルプ製造(王子製紙)敦化工場の女性社員170名がソ連軍によって連日強姦された。その苦痛に耐えきれず23人が自決している。
戦後、このようなソ連軍の蛮行は知られていた。
しかし、それ以上の数の日本人女性を強姦していたのが朝鮮人であった。
これは戦後、ほとんど語られないのは「マッカーサー検閲30項目」で消されたからである。
現在、日本では敗戦直後の日本人女性への強姦のほとんどはソ連だと思い込んでいるが、実際、強姦の半分以上は朝鮮人だったということを日本人はよく知っておくべきである。
また戦後、米軍は極めて人道的であったと長い間流布されてきた。
記録映画に登場する占領後の米軍将兵のほとんどが日本兵や民間人に食料を支給し、医療を施す姿で映し出されている。
そして「鬼畜米英という教育は間違いだった。玉砕は犬死だった。文明国の軍隊は寛大だった」と日本人が口にするようになっていった。
しかし、日本に進駐した米軍が日本に最初に要求したのが「女」であった。
この性の要求に対して花街の女性達が身を挺身して相手していたが、米兵は日本政府の用意した慰安所だけでは足りず、一般の民家に押し入って日本人女性を強姦し続けた。
押し入って来た米兵から妻や娘を守るために殺された日本人は2500人(調達庁)。
また米兵は日本軍捕虜も殺していた。
ニューギニアのホーランディア飛行場周辺で米軍は日本軍捕虜2000人を機関銃で射殺した。
それは米兵だけではない。
昭和20年9月、ブーゲンビル島でオーストラリア軍の捕虜となった日本兵2000人は収容所に移送されることになったが、栄養失調と疾病で衰弱しているにもかかわらず気温35度以上の中、水も与えられず10マイルも行進させられて死者が多数出た。
またファウロ島の収容所に移動させられた日本兵はマラリアに多数感染したが、オーストラリア軍は予防薬も支給しなかったため捕虜のほとんどが感染して700人死亡した。
戦時中、日本は白人の捕虜の食生活に配慮して、一般国民が食うや食わずの中でも入手困難なパンや牛乳や卵までも支給していたことを考えると、本当に人道的だったのは日本人であった。
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Source: 日本人よ誇りを持とう



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