我が国の「輝く誇り」とは何か?
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“国がさくらの花ならば、ひとりひとりが花びらだ 輝く誇りを持っている”
これはシンガーソングライターの山口采希さんが歌っている国民の歌「若い日本」である。
ここに出てくる“輝く誇り”とは何か?
我が国が世界に輝く誇りとは、万世一系の男系126代続く皇統である。
ではなぜ我が国は126代も皇統が続いてきたのか?
爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
これは昭和20年の停戦時の昭和天皇の御製である。
この御製が国民に紹介されたのは昭和43年であるから、昭和20年当時、国民は誰も知らなかった。
昭和20年8月14日の御前会議の陛下の御発言「朕の一身は如何にあろうとも、これ以上、国民が戦火に斃れることは忍び難い」を翌8月15日の新聞各紙が報じた。
この御発言が先ほどの御製に繋がり、陛下がこれを実践されたのが9月27日のマッカーサーとの会見であった。
「自分はどうなってもいいから、国民を救ってほしい」
陛下は国民の知らないところで、国民のために命を差し出されていたのだ。
昭和20年12月8日、大東亜戦争開戦と同じ日に、手に鎌などを携えた青年達が皇居にやって来た。
当時は食糧難で自分が生きるか死ぬかの時に、皇居が荒れ放題と聞いて、宮城県から60名の青年達が上京して清掃奉仕した。
数日間、青年達は凄まじいばかりの奉仕ぶりであった。
彼らのことは早くも陛下の耳に入り「一同に会いたい」とのお言葉があった。
皇居内でこういうことが行われるのは前例がなく初めてである。
陛下は奉仕の労をねぎらわれ、「郷里の農作はどうか」「肥料の配給はどうか」「地下足袋の配給はあるのか」と次々質問された。
さらに10分ほどお話をされた後、最後に「何とぞ国家の再建のために、たゆまず精を出して努力してもらいたい」と仰せになり、一同とお別れになられた。
天皇陛下と皇后陛下がもとの道を30歩ほどお歩きになられた時、突如、奉仕団の間から「君が代」が奉唱された。
当時、占領軍が国旗・国歌を取り締り、誰も口に出来ずにいた「君が代」を歌い始めたのだ。
この歌声に陛下は急に立ち止まられ、背中を向けたままじっと聞いておられた。
すると今度は青年達の歌声が嗚咽の声に代わり、途中から歌えなくなってしまった。
嗚咽の声を聴かれて陛下はその場で何度も何度もうなづかれて、そして歩いて行かれた。
戦時中は二十歳になるかならずの多くの若い靖國の英霊達は「私」を捨てて国のために殉じた“無私”であった。
この奉仕団の青年達も代価や報酬を求めない“無私”であった。
そして「わが身がどうなろうとも、国民を救いたい」と言われた陛下もまた“無私”であられた。
我が国の輝く誇りが続いているのは、この“無私”である君臣一体の国柄にあるように思う。
「若い日本」
一、 日本はいつでも若いのだ 国がさくらの花ならば
ひとりひとりが花びらだ かがやく誇りを持っている
気高い理想を持っている 咲こう 咲こうよ 咲きとおせ
日本よ 日本よ われらの日本
二、 日本はいつでも進むのだ 国が火を吐く島ならば
ひとりひとりが溶岩だ 燃えたつ意気と情熱で
世紀を超えて進むのだ
燃えろ 燃えろよ 燃えとおせ
日本よ 日本よ われらの日本
三、 日本は大きく伸びる樹だ たまに嵐に折れたとて
若い芽がある 枝がある
がっちり組んで堂々と 世界の上に伸びるのだ
伸びろ 伸びろよ 伸びとおせ
日本よ 日本よ われらの日本
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Source: 日本人よ誇りを持とう




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