先人達が命を捧げて願った「立派な国」とはどういう国だったのか
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「回天」にある楠正成の家紋「菊水」
靖國神社「遊就館」に展示されている回天
昔から日本人は「花は桜木、人は武士」と言っていた。
これは我が国に咲き誇る「桜」を花の中の花とし、日本精神は「武士道」を以てその精華とする。
すなわち、桜は風吹けば何の未練もなく潔く散りゆく美しさがあり、武士は艱難に遭遇して君国の大事に及ぶや、何ら顧みることなく一途に命を致すことにある。
戦前、日本人の多くが尊崇していたのが楠正成公であった。
その家紋は「菊水」であり、「七生報国」は昔の子供達が知る有名な場面である。
自ら「慕楠」という号を名乗るほど楠正成公を敬慕していた「回天」の創始者・黒木博司。
この一人乗りの魚雷に乗って百発百中の戦果を挙げようと仁科関夫少尉とともに開発したのが「回天」であった。
仁科関夫は長野県南佐久郡の出身で、小学校から常に首席で通し、中学4年の時に難関の陸軍士官学校と海軍兵学校をともに合格した。両親は一高から東大に進むことを期待したが、年少の頃から尊敬していた楠正成公に傾倒し、武人たるべく海軍兵学校を選んだ。
昭和19年9月、大尉に進級した黒木は「回天」の実験訓練の事故で浮上出来なくなり殉職した。
戦友は仁科中尉を先頭に「黒木に続け」を合言葉に猛訓練に励み「菊水隊」が編成された。
昭和19年11月8日、仁科中尉は黒木の遺影を胸に抱き、「七生報国」の白鉢巻きと「桜の花」をかざして多くの見送りに応え、西カロリンのウルシ―環礁のアメリカの太平洋艦隊目指して出撃した。
左から2番目が仁科中尉
きっと700騎で数十万の敵に向かった楠正成公の「湊川の戦い」に赴く心境であったであろう。
この時、アメリカの給油艦ミシシネワ1隻が撃沈されたが、誰が命中したかは不明であったが、後にハワイに展示されていた回天には「撃沈した操縦者はセキオ・ニシナ」と書かれている。
出撃前、既に敗戦を予期していた仁科中尉は出撃する前に艦長にこう言った。
「自分達が礎となって日本は立派になるのです。自分達の死は決して無駄ではありません」
仁科中尉が命を捧げて願った「立派な国」とはどういう日本であったのか?
それは米国やシナにおもねって経済繁栄することでも、行き過ぎた自由や権利を主張する日本でもなかったはずである。
たとえ敗戦しても日本人としての「心」や「魂」を失わず、日本人の矜持を失わない日本ではなかったのか。
もうすぐ8月15日が来る。
今を生きる日本人は靖國神社に行って、先人達に向き合ってほしい。
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Source: 日本人よ誇りを持とう







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