有本恵子さんの母・嘉代子さんが死去。嘉代子さん「憲法9条のせいで拉致問題が起きたと思っている」
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令和2年2月3日、拉致被害者、有本恵子さんの母、嘉代子さんが心不全のため死去された。94歳。
さぞ、無念であろうと思う。
産経新聞には、平成26年5月に嘉代子さんと夫の明弘さんが恵子さんへの思いをつづった手記を寄せていた。
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恵子が北朝鮮にいることがわかって今年で26年。北朝鮮に拘束されて31年になります。
お母さんの頭には伊丹から出国する時の恵子の顔しか思い出せません。
結婚して子供も生まれたと聞いております。不自由な国で、どのようにして育てたのかと思うと胸が痛みます。一日でも早く、恵子と4人でしっかり抱き合うことのできる日が来ればと願っています。
お母さんも毎朝、神さんをお祭りして、一日でも早い帰国をと、お願いしております。それまで恵子たち家族の健康と私たちの健康も、ともに念じております。
くれぐれも体に気を付けて、希望をすてないで頑張ってください。お父さん、お母さんもともに頑張ります。
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1982年、有本恵子さんはロンドンに語学留学し、両親への絵葉書には「1983年8月9日17時15分着の飛行機で大阪に帰る」とあった。
しかし同年6月13日に日本の友人に「突然仕事が入って来たのです。家族には8月に帰ると言っているのですが帰れそうにありません。飛行機の切符はキャンセルします」との手紙が届いた。
そして6月30日、デンマーク・コペンハーゲンから両親宛て絵葉書には「ここで7月15日に友達に会う」と送られて、そのまま消息を絶ち、両親はわけのわからないまま時が過ぎた。
1988年9月、欧州旅行で8年間消息を絶っていた北海道の石岡亨さんから札幌の実家にポーランド消印の便りが届いた。
「家族の皆様方、無事に居られるでしょうか。私と松木薫さんは元気です。途中で合流した有本恵子君ともども三人で助け合って平壌市で暮らして居ります」。
有本さんの両親は国会議員に電話をかけまくり、外務省では「国交がありませんから」「くれぐれも拉致は他言無用に」「日朝交渉の邪魔になるから騒がないでほしい」と言われ相手にしてくれなかった。
社会党の土井たか子は「拉致はでっち上げ」と言い、1987年の訪朝時に土井たか子は金日成に「自分の家に帰ったようです」と述べていた。
恵子さんの母・嘉代子さんは怒りを込めてこう言った。
「土井さんは国賊です。国民に謝るべきです!」
元スナック店主・八尾恵は、チュチェ思想研究会に共鳴して入会し、1977年に北朝鮮に行った。
2001年、警視庁公安部の事情聴取に応じた八尾恵は有本恵子さんの拉致に関わったことを供述、有本さんの両親に八尾恵は土下座して「どうもすみませんでした。私が恵子さんを誘拐しました。」と謝った。
しかし本人供述があっても立件に必要な証拠がなく、拉致の罪に問われなかった。
1991年、有本さんの家族は実名での記者会見を決断した。世論を喚起し、国に早期解決を促したいと思ったからである。
するとNHK記者からに有本さんに「会見前に会ってほしい人がいる」との電話があった。
翌日、会見場に記者達を待たせたまま、NHKの崎本利樹と田村啓の2名の記者に東京神田のウニタ書房店主だった遠藤忠夫を紹介された。
ウニタ書房は過激派や左翼系出版物を専門に扱う書店で、日本赤軍・重信房子ともパイプを持っていた。
「氏名や住所を公にすると日朝交渉に伴う水面下の努力が水泡に帰すのでやめてほしい。代わりに金日成につながるパイプがあるので1、2か月待ってもらえれば解決出来る」と言われた。
それを信じた有本さんの両親は名前を名乗らない会見となって、記者から「何のための会見だ」と怒声が飛び、報道されなかった。
その後も遠藤から「今動いているから、いずれ帰国出来る」と言われたが、間もなく音信が途絶えた。
有本さん夫妻の怒りは収まらずNHKに質問状を出した。
2002年3月12日、恵子さんを拉致した八尾恵は全容を明かした。
それによると、金日成の「日本人の獲得」の指示で、八尾恵は日本人獲得担当キム・ユーチョル工作員と、欧州で拉致する日本人を探していた。
間もなくロンドン語学学校で有本恵子さんと知り合い、八尾恵は親切な日本人女性を演じた。
八尾は頃合いを見計らって「いい市場調査のアルバイトがある。一緒にやろう」と言い、恵子さんは「面白そう。やってみたい」と言った。
八尾恵はよど号犯・安部公博に「いい人が獲得できそう」と電話した。
デンマーク・コペンハーゲンの中華レストランに来た恵子さんに安部が「北朝鮮での市場調査は滞在費や食費はタダ。日本と違って社会主義の国だから面白いよ。見学や勉強をしてきたら」と言うと、八尾恵も初めて聞いた振りをして「面白そう。行ってみようか」と言った。
恵子さんは「一緒に来てくれるなら」と言うと、安部は八尾恵は「別の仕事があるからあとから北朝鮮に行ってもらいたい」と言う。
八尾恵を疑わなかった恵子さんは「必ず後から来てくれるなら」と、翌16日、キム・ユーチョル工作員と北朝鮮に飛び立った。
2人を見送った八尾恵は別の日本人を騙すためにロンドンに戻った。・・・
これが有本恵子さんの拉致の全容である。
2014年4月27日、日比谷公会堂の「拉致国民集会」で有本恵子さんの母・嘉代子さんは「私達は憲法9条のせいで拉致問題が起きたと思っています」と訴えていた。
拉致問題は、国の威信をかけて、軍事力を使ってでも奪還しなければいけないのだ。
もちろん戦争覚悟である。
以前、レバノンでレバノン人が北朝鮮に4人拉致された時、北朝鮮とは国交断絶して戦争すると言ったら、拉致被害者を帰してきた。
日本国に足りないのはこの覚悟である。
もちろんこの覚悟は日本政府だけではなく、我々国民も覚悟しなければいけない。
国民のこの覚悟が大きな声になった時、国も動き出し、初めて拉致が動き出すことになる。
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Source: 日本人よ誇りを持とう
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