「君が代」を日本語で歌う親日国に感動した!
人気ブログランキングに参加しています。
まずはここをポチッとお願いします。
パラオには今でも日本語を話せる方々がいらっしゃる。
1930年生まれのアントニナ・アントニオさんは、日本統治の公学校で 3 年、補習科 2 年教育を受けた最後の卒業生である。
戦後、アメリカの占領で日本人が去った後も、日本語を忘れないように日本語の歌を歌い続け、日本語の歌詞を何度も書き写していたという。
近年、パラオに日本人が来るようになると、日本人と会話して日本語で話す力を取り戻していった。
このように努力をするのは「日本統治時代が一番よい時代だから」だと言う。
その目は輝いている。
そして日本統治時代の“人間教育”を今も称賛している。
下の動画では「君が代」と「日の丸の旗」を日本語で歌っている。
戦後、パラオがアメリカに占領されると、日本語は使えず、日本人が残した二宮尊徳像や神社を破壊して、「日本人は残虐で多くのパラオ人を虐殺した」と学校で教えた。
しかし日本統治を経験していたパラオの長老達は「日本は素晴らしい国だ。日本統治は一番よかった」とアメリカの捏造教育に激怒した。
そしてパラオは1994年10月1日に独立した。
翌1995年10月1日に、パラオでは独立1周年記念式典が行われ、各国から要人が参列して各国の国旗が掲げられた。
しかし当時の村山内閣はパラオに日の丸も日本政府代表の祝電も送らなかった。
井上和彦氏が「日本時代は責任感がありましたか?」と訊くと、アントニナ・アントニオさんはこう答えた。
「きちんとしていた。生徒は生徒らしく、政府の方は政府の方らしく。
私は(他国と)比べると日本はよい国です。人間の人生をよく教えてくれた。
だから、今度日本に帰ったら、あんまりね、各国々の習慣、習わないでください」
戦前のよき日本を知るパラオのおばあさんは、戦後日本の姿、最近の日本の姿に警鐘を鳴らしている。
それは、昔の本当の日本の姿に戻って下さい、という願いでもある。
井上氏が帰る時、パラオのおばあさんが外に出て来て日本語で「蛍の光」を歌ってくれた。
そして、涙ぐんで別れを惜しんだ場面が動画にある。
感動である。
これが戦前の日本の教育の賜物である。
これのどこに侵略・植民地支配した姿があるのか?
この人間味溢れる姿に、日本の先人達の偉業に、素直に感動した。
・・・・・
人気ブログランキングに参加しています。
日本人よ誇りを持とう、と思った方はここをポチッとお願いします。
Source: 日本人よ誇りを持とう
「生活」カテゴリーの関連記事