原発裁判 最高裁が国の責任を認めず! 原告は疲労と失望←自己責任!
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「こんな判決出るとは」無念の原告 疲労と失望
「肩透かしの判決だ」。東京電力福島第1原発事故で避難した住民らが起こした4件の集団訴訟で、最高裁が17日、国の責任を認めない初めての統一判断を示した。
あの日から11年余り。故郷を奪われ、戦い続けてきた原告らは、疲労と失望の色をあらわにした。
「こんな判決が出るとは思わなかった」。福島県いわき市から前橋市に避難した群馬訴訟の原告、丹治杉江さん(65)は判決後の記者会見で呆然とした表情で話した。
11年前、水素爆発を起こす1号機の映像をテレビで見た。避難指示は出ていなかったが、危険を感じ、夫とともに避難した。
いわき市で家電修理店を営んでいた。ワープロの修理で全国的に知られた店だ。だが、原発事故後、ワープロを預かっていた客から「放射能が付いただろうから、もう返してもらわなくてもいい」と心ない言葉をかけられた。
義母は地元に残った。事故以来、一度も会えず、亡くなった。身近には孤独死した人もいる。
裁判を始めたのは「責任の所在を明らかにしなければ」との思いからだ。1審前橋地裁では国の責任が認められたが、2審で覆され、今回の最高裁判決でその結論は確定した。
最高裁で東電の賠償責任は確定したが、避難指示区域外だったため、受け取ったのは25万円ほど。「これからどうしたらいいのだろう」と涙をぬぐった。
福島県南相馬市から遠く愛媛県まで避難した愛媛訴訟の原告、渡部寛志さん(43)は「東電にだけ責任を負わせて終わらせるなら、原発事故を起こした社会の誤りも正せない」と憤った。
福島では妻と娘2人で暮らしていたが、遠く離れた地での生活が長期化し、妻とは衝突することが増えて離婚。妻と長女は福島県須賀川市に移り、渡部さんと次女は愛媛に残った。
(令和4年6月17日 産経新聞)
https://www.sankei.com/article/20220617-PZCQQRLHIRN6JJEFH3AWZAATME/
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金欲しさに裁判し続けた11年。
その間、まじめに働けば相当な収入であった。
放射線防護学専門の高田純教授(札幌医科大学名誉教授)は、福島原発事故直後の4月13日から福島第一原発の門の前で線量を測定したが、避難するほどではなく、自身も着ていた防護服を脱いでいたくらいだ。
その程度だったのを無理やり避難させて福島を廃墟同然にさせたのは、菅直人はじめ民主党政権の無知のせいである。
原告らは「故郷を奪われ、戦い続けてきた原告らは、疲労と失望の色」だという。
故郷に残って、故郷の復興と立て直しをしていれば、そんなことにはならなかったのに、金に目がくらんだために、人としての道を誤った。
働かずに得た金などで幸せになった人はいない。その金でかえってその人を不幸にしている。
まして裁判して金を取ろうなどとくだらぬことをしているから「妻とは衝突することが増えて離婚。妻と長女は福島県須賀川市に移り、渡部さんと次女は愛媛に残った」となるのである。
また、「義母は地元に残った。事故以来、一度も会えず、亡くなった。身近には孤独死した人もいる」と、親を大切にしない人は必ずその報いが自分に返ってくる。
人間、汗して明るく元気に働いている時が一番幸せである。
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Source: 日本人よ誇りを持とう
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