除夜の鐘に「何やってんだ、テメェは」と苦情! ← 本邦外出身者か?
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「運動会の花火」「除夜の鐘」に苦情多数で禁止拡大の不寛容
うるさいから止めろ、と言われても、音を出す側に相応の理はある。だとしても騒音と断じられてしまうのか。
たとえば、運動会の始まりを告げる花火。主に宮城県など東北6県では、運動会のみならず、収穫の秋を祝う町内の祭りなどの行事を行う合図として、古くから用いられてきたという。それがここ数年、住民たちの苦情で、取り止めになる例が相次いでいるのだ。
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年1度と聞けば、まもなく迎える大晦日でも不寛容の声が鳴り響く。東京・小金井市にある曹洞宗の寺院・千手院は、除夜の鐘を5年前から止めたそうだ。
「近隣の方から苦情が来て裁判所で調停が開かれたのですが、100万円かかる防音パネルを設置しなくてはならなくなりました。音が遠くまで聞こえなくなるし不自然なので、今年も鳴らすことはありません」(住職)
同じく住民の抗議を受けながら、鐘を復活させたのは真宗大谷派の大澤寺(だいたくじ)(静岡・牧之原市)である。
住職の今井一光氏(61)はこう話す。
「百八十度発想を変え、正午から除夜の鐘を突く予定です。昨年も日が高いうちに鳴らしたところ好評で、近隣から苦情も来なくなりました。昼間の方が明るいし寒くないので、今まで足を運び辛かったお年寄りや子供たちも、気軽に鐘を突けるようになりました。お手伝いに来る婦人部の方も、夕方は家でおせちの準備ができると喜んでいますね」
まさに「災い転じて福と為す」というワケだが、夜に鐘の音を聞きながら年越し蕎麦を啜る光景が、ここでは見られなくなってしまったのもまた事実。世間を覆う禁止拡大の波は、収まる気配が見えないのだ。
(令和元年12月15日 ディリー新潮)
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近年問題となっているのが、昔からある運動会の花火や除夜の鐘を「うるさいからやめろ」という苦情である。
日本人はこういう音を聞いて「うるさい」と感じるのではなく、「始まったな」とか「いよいよ新年を迎えるな」とみんなと共同して感じるものであった。
またそれらは昔から季節の風物詩をしても受入れられてきたものである。
それに文句をつけるとは日本人とは思えない。
近年、言葉も「ハラスメント」「ヘイト」に気を付けなければならず、音を出すのも周囲に気をつかう。
今や好き勝手やることが「自由」だと思い違いして、自分勝手な解釈の「権利」が横行し、「女性差別するな」と女性の権利ばかり主張するが、それが逆に「男性差別」しているということを言えない日本社会。
さらには女装した男に女子便所を使わせないのは「不当な差別だ」という判決まで出た。
今の日本は狂っているのではないか?
「除夜の鐘」は大晦日の深夜0時を境に鐘をつくもので、これを聞いて新年を迎えるのが日本人である。
人には「百八つ」の煩悩があると言われ、その煩悩を祓うために除夜の鐘は108回つく。
これをうるさいという人間こそ、除夜の鐘を108回聞いて、煩悩をお祓いした方がいいのではないか。
まぁ、本邦外出身者には無理か。
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Source: 日本人よ誇りを持とう
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