ラサール石井「極右論陣よ、この声を聞け。戦争に反対するから左翼ではない。人間なら戦争に反対する」
人気ブログランキングに参加しています。
まずはここをポチッとお願いします。
岩井忠正さん(左)と忠熊さん(中央)。忠正さんの娘直子さん(右)が傍らで補助した=早稲田大学で2019年11月9日(毎日新聞)
—————————
元特攻90代兄弟が「最後の証言」 時代に迎合を悔恨「なぜ死ぬ覚悟で戦争に反対しなかったか」
太平洋戦争中に学徒出陣し、特攻隊員になった兄弟が9日、東京都新宿区の早稲田大で講演した。岩井忠正さん(99)と忠熊さん(97)。今はそれぞれ東京、滋賀と離れて暮らすが、どうしても若い世代に「最後の言葉」を伝えたいと顔をそろえた。これまでそれぞれ講演する機会はあったが、兄弟そろって話すのは最初で最後かもしれない。2人が伝えたかったメッセージとは――。
2人は10人兄弟の五男、六男として熊本市で生まれた。忠正さんは慶応大、忠熊さんは京都帝国大(現京都大)に進み、ともに在学中の1943年12月に旧海軍に入隊した。戦況が悪化の一途をたどる中、忠正さんは人間魚雷「回天」と人間機雷「伏龍」の隊員となり、忠熊さんは爆薬を積んだモーターボートで敵船に体当たりする「震洋」の艇隊長になった。
「2人とも生きては帰れないだろう」。入隊前、兄弟で先祖の墓参りに行ったとき、道中の汽車でそんな会話を交わしたという。実際に軍隊生活は死と隣り合わせだった。忠熊さんは海軍徴用船に乗船中に米軍に攻撃され、海に放り出されて約3時間漂流した。忠正さんも「伏龍」の訓練で海底に潜水する際に酸欠で気を失った。
辛くも2人は生き残ったが、多くの若者が特攻隊員として命を散らし、遺書が残されている。「遺書には勇ましい言葉が書いてある。『私は喜んで死ぬ』と書いてあるのを読んで感激する人もいるはずです。だけど、私は、待ってくださいと言いたい」。忠正さんは会場にこう呼びかけた。
この話をしようと思ったのは娘の直子さん(60)との会話がきっかけだった。直子さんは特攻隊の記録を展示する記念館で隊員の遺書を読んだ際、「あの方たちは教育を受けてああいう気持ちで死んでいったんだ」と思ったという。それを聞いて忠正さんは、当時検閲があったことや、家族を悲しませまいと自分を奮い立たせる隊員の心境を話して聞かせたという。すると、その「実態」を講演で話すべきだと直子さんから促されたという。
忠正さんは、命を落とした隊員の無念を代弁するように語気を強めて会場に訴えた。「本当は死にたくない。でも(死ぬのが)嫌なのに殺されたと聞いたら家族も悲しむから、喜んで死んだと思ってもらおうと。もう一つは自分を励まさなきゃやれない。決して犬死にじゃないと自分を奮い立たせて慰める気持ちの表れなんです。そういうことを理解してやらないといけない。つらいんですよ、本人は……」
忠正さん自身、当時、内心は戦争には批判的だった。海軍で上官から毎日のように暴力を振るわれ逃げ出したい一心で特攻隊員に志願した。「もし遺書を書くとすれば自分も同じことを書いていた」と打ち明けた。
最後に、若者に何を伝えたいかと司会者に聞かれた2人の口から出てきたのは後悔の言葉だった。忠正さんは「この戦争は間違っているとうすうすながら分かっていたにもかかわらず、沈黙して特攻隊員にまでなった。死ぬ覚悟をしてるのに、なぜ死ぬ覚悟でこの戦争に反対しなかったのか。時代に迎合してしまった。私のまねをしちゃいけないよ、と今の若い人に伝えたい」。
忠熊さんも「戦争を二度と繰り返さないためにはどうしたらいいのか、特に青年、学生がどうするかによって未来が変わる。そのためには歴史に学んでほしい」と。
講演会は戦場体験者らでつくる「不戦兵士・市民の会」が主催した。約250人が会場を埋め尽くし、立ち見も出た。
(令和元年11月23日 毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20191122/k00/00m/040/143000c
—————————
この記事を呼んだラサール石井はツイッターでこう書いた。
このラサール石井のツイッターに百田氏は「私は昔から今もずっと戦争反対だ」と反論しているが、ラサール石井の言う「極右論陣」も戦争には反対であろう。
「戦争に反対するから左翼」?
こんなことを言う人がいるのか? 初めて聞いた。
「人間はけして戦争を美化してはいけない」?
誰も戦争は美化していない。
国を護るために命を捧げた尊い方々に対して、敬意を表するのはどこの国でもやっていることであり、人間として当然である。
これを「戦争美化」という言葉で揶揄するのは日本の左翼だけであり、大きな間違いである。
しかもお国のために命を捧げた方々を祀っている靖國神社に参拝しない総理や閣僚や国会議員は世界的に見ても“異常”である。
なぜ今の日本があるのか?
英霊達が国を護るために命を捧げて戦ったからである。同じように叩かれようが何されようが戦ってでも靖國神社には参拝するべきである。
それが本来の日本の政治家の姿勢である。
それが出来ない人は日本国の国会議員のバッジを着けている資格はない、と言いたい。
さて、上の記事は毎日新聞である。だから反戦平和という反日左翼思想でなければ記事にはされない。
「この戦争は間違っているとうすうすながら分かっていたにもかかわらず、沈黙して特攻隊員にまでなった。死ぬ覚悟をしてるのに、なぜ死ぬ覚悟でこの戦争に反対しなかったのか。時代に迎合してしまった。私のまねをしちゃいけないよ、と今の若い人に伝えたい」
「戦争を二度と繰り返さないためにはどうしたらいいのか、特に青年、学生がどうするかによって未来が変わる。そのためには歴史に学んでほしい」
このお二人も生き残りであればわかっていると思うが、戦局が不利でも「後をたのむ」「靖國で会おう」と言って次々戦死していく先輩や戦友を見てどう思っているのだろうか。散華された戦友にもそういうことが言えるのか。
保守の会の会報に執筆頂いている、特攻隊員として二度戻って生き残られた栗永照彦氏は、戦友達が次々散華する中、自分が生き残ることに「この時の気持ちは、とても言葉で表現できるものではありません」と述べておられる。
私はこれが人間として、日本人としての本音ではないかと思う。
そして、こう語っている。
「戦友達は日本という国や家族を守るために戦って散った、まぎれもない“英霊”であり、断じて”戦争の犠牲者”ではないのです。私は長い間、英霊の願いにかなう日本にするにはどうしたらよいかを問うていた中で、一つの考えに至りました。
それは日本人は忘れかけた『特攻精神』を取り戻さなければいけません。これは世間で誤解されているような無鉄砲で盲目的な生き方とは全く違います。人のため、公のため、時に己を忘れて尽くすことです。無我、没我の精神と言ってもいいでしょう。
そして、神仏を大事にして粗末にしてはならぬ、親、兄弟姉妹を大切にしよう、先生を尊敬しよう、友とは仲よくしよう、それらは言い方を変えれば恩返しや感謝の精神です。これが戦友達の『特攻精神』です」
靖國神社に祀られている英霊達の願いは、毎日新聞にあるお二人の言葉ではなく、栗永氏の言葉にあると思う。
・・・・・
人気ブログランキングに参加しています。
反日左翼は心がねじ曲がっているから言うことがおかしい、と思った方はここをポチッとお願いします。
Source: 日本人よ誇りを持とう
「生活」カテゴリーの関連記事